刻石流水
山口県で今年の8月12日から2歳の男児が行方不明になり、大規模な捜索にもかかわらず発見できず、皆が最悪の事態を覚悟した頃、15日から捜索に参加したボランティアの人が、わずか20分で男児を探し出し話題となった。謝礼どころか、お礼の言葉を受けることさえ潔しとしないボランティア精神を貫いた老人は一躍時の人となった。両親や捜索隊の感謝の意を代弁したレポーターに「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石刻め」と言ったとか言わないとか。「ほー、世になかには得難い人もいるものだ」と感嘆したのは私だけではないだろう。
「刻石流水」出典は仏教経典にある『懸情流水 受恩刻石』だそうだが、詳細は不明である。件のボランティア翁は、これまで世間から受けてきた恩を忘れずに、いまそれを返しているのだという。彼にとってボランティアでの労苦は、見返りや感謝されることが目的ではなく、さらりと水に流すことが粋なのだ。さて私自身を鑑みるに、「刻石流水」とは真逆の道を歩んでいる。かけた情けは逐一記憶に留めているくせに、受けた恩はきれいさっぱり忘れている。本来人間は利己的な生き物で、それが普通でしょと嘯いている。しかし還暦を目前にすると、未来を眺めるよりは、過去を振り返ることが多くなる。かけた情けなど微々たるもので、受けた恩は数限りない。石に刻むのは単に忘れないためではなく、それをどう返せばいいかを自らに問い続けるためなのだ。ボランティア翁は私にそう教えてくれている。
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